カルチャーの効用について

ひっそりブログ名を変えました。まあ身も蓋もなく言うといわゆるSEO対策というやつで、「Paper Planes」って入れても絶対候補に出てこないんでなんかちょっと他で使ってないやつにしてやろうと思った結果こんなんになりましたなんかひょっこりひょうたん島みたいな名前ですが、個人的にはけっこう気に入っています。
 
「浮き島」と言って何を思い浮かべるか?というと、たとえば大滝詠一細野晴臣の音楽なんかが思い浮かびます。同時代の文化とちょっと浮いてるというか、ガッチリと共同体に根ざしたものではない。そのなかにはアル・グリーンと一緒にクレイジー・キャッツや俳句が入ったりと、時間軸も地理的範囲も混乱している。彼らの音楽にはそういう根無し草的な感覚と、ゴチャッと情報が集積する感覚が並存しており、それが「浮き島」というイメージにつながりました。
 
カルチャーのなかには積極的に社会に関わっていってそれを変革しようとするものがありますが、それと同時に資本主義や主権国家システムからのある種の緩衝地帯としてはたらくようなはたらきをもったものもあると思っているんです。それは積極的に外部にはたらきかけるものではないですが、それ自体が独特の磁力を放ち、それに関わる人の「共感」や「好奇心」をもって動くようなそういう性質を持っている。商品として値段がついている以上資本主義と独立したものではありませんが、共感や好奇心をバックにした力が他の権力と並立し、それを抑制している、そんな風に思わせてくれる文化がいくつもありました。例えば大滝詠一のミュージシャン活動/レーベル運営/ラジオDJ活動を総合した「ナイアガラ」という文化は大滝個人の興味や好奇心、愛から始まり、それが同じように他の個人の共感と好奇心を誘発するものでした。
 
大滝のファンからは多くの音楽関係者や文化人が輩出されたことは有名ですが、結果的に経済を動かしたかはどうかにせよ、個人的な感情から現れたものが他の個人の愛や共感を誘発するという、その構図自体が美しく、価値があると思うわけです。それは微力なものかもしれませんが、資本主義や国家システムとは違った角度で作用し、その根本的な「しんどさ」を和らげる緩衝地帯として作用したと言えるのではないでしょうか。少なくとも私自身にとって、音楽はそんな効用を持ったものでした。リーバー&ストーラーもフィル・スペクターピート・ロックDJプレミア向井秀徳七尾旅人も、ビジネスとの関わり方に差はあれ、どこかに根本に個人の愛や好奇心を感じさせてくれるものでした。そこにだいぶ救われた感じがあるのです。
 
(どうでもいいですけど、いろいろサイト名考えるなかで「Soundcloud」っていいサービス名だなぁと思いました。当たり前っちゃ当たり前の命名なんだけど、日本語で「音の雲」って訳すとクセナキスとかギル・エヴァンスっぽくてカッコ良いですよね)