Paper Planes

景色だけが変わり未来は過去になる

音楽との距離を点検すること

Apple Musicを解約してジョン・レノンマーヴィン・ゲイばかり聴いているんですが、そういう生活を送ってきて、思いついたことをつらつらと書いてみます。
 
ストリーミングを解約したのはレコードのぬくもりが…というようなこだわりとはまったく関係なくて、むしろ自分はそういうパッケージへのこだわりは薄い人間なので、配信される音楽そのものに関係することなんですよね。さらに言えば自分の中の問題で、単純に、あっ、自分ちゃんと音楽聴いてないな、と気づいてしまったというか。「ちょっと良い」ぐらいのものを全然真面目に聴いてない自分に気づいてしまったというのが大きいです。たしかに新しくて面白い曲を何万曲も聴けるんだけど、繰り返し聴くものは年間アルバム10枚ぐらいだなあという。なら月一枚ずつCD買ってた中学生の頃とそんなに変わらないんじゃないの?と思ったわけですね。
 
ストリーミングという技術はシーンやトレンドを包括的にとらえるためには適していて、特に2015年ぐらいからはアメリカの王道のポップス自体が大きく音響的に変化していったということもあり、その変化を追うためには最適の手段だったわけです。岡田拓郎さんがこの時期の音楽について「ジェームス・ブレイクなみの音楽が毎日現れてる感じ」(http://thesignmagazine.com/sotd/okada-takuro-interview-4/)と言っていましたがこれは貴重な証言で、自分の肌感覚としてもそういう感じに近かったです。そんな急激な変化を追う手段としてストリーミングという技術は最適だった。
 
でもシーンとかトレンドとか長期的にはどうでもよくなるというか、「捨てるために聴く」という部分があるんですよね。あれだけ衝撃だったジェームス・ブレイクの1stが「王道のポップス」に聴こえるようになり(ちょっと言いすぎか?)、むしろその歌心やメロディセンスが強調されて聴こえるように、いわゆるネオソウルと呼ばれるものをたくさん聴くことで逆説的に『VooDoo』の突出性が分かったし、いわゆるアンビエントR&Bと呼ばれるものをたくさん聴くことで『ブロンド』がいかに突出しているか分かったという経験があって。形式に慣れることによってたとえばフランク・オーシャンという個人の精神性やアーティスト性が深く迫ってくるようになる。またその逆もいくらでもあって、最初は新鮮だと思っていたような音楽が、形式に慣れることで意外に面白くないというか平凡に思えてくることもある。すなわちトレンドを取り込んだことで評価されてるものは所詮それ以上のものではないという、字にすれば当たり前のことがやっと腑に落ちて分かったというか。たとえばジミ・ヘンドリックスのやっていた音楽は70年代前後的なサイケデリック・ロックに分類できると思うけど、まったくそこには依存してないですよね。でもジミヘンの凄さや特殊性をはっきり分かるためには同時代のサイケデリック・ロックをいくつも聴かなければ分からないみたいなところもあって……。
 
もともと自分は「ペット・サウンズを理解できるまで聴く」みたいな明らかに作家主義的な聴き方をしていた人間なんだけど、ある時期からそういう「魂と魂の対話」みたいなのがなんとなく恥ずかしくなって、ファッション感覚でトレンドのものをザッピングするみたいなところに憧れてたところはあるんですよね。その感覚にストリーミングという形式はすごく合致してたわけなんだけど。でも実際にはファッション感覚だったらこんなに長く音楽聴いてないというか、中学生ぐらいの時の文学少年みたいな聴き方が自分を支えてることは間違いないと思い始めて、結局自分にとって音楽はきわめて個人的なものに過ぎないというところに戻ってきたというところなんです。2018年にこういうこと言うのはアナクロとか反動的とか言われても仕方ないと思うんだけど。
 
なんかだらだらと文章を書いてきましたが、この文章そのものが個人史にもとづいた自問自答から来たものなので、ストリーミングとフィジカルどっちがよいか?みたいな話ではまったくないことは断っておきます。でも逆に言えばそういう個々の内省や個人史を欠いたメディア論には正直あまり必然性を感じないんですが(謝っておいてすぐ毒を吐く)まあそれはいいとして。
 
同時に、趣味って何なんだろうなということも思うわけです。歴史上いま以上に「趣味」に比重が置かれた時代はないのではないわけで(たぶん)、でもそれと同時に日本全体が貧しくなっているということもあって、やや反動的に「しょせん趣味」みたいなところに振れたりもするわけだけど、やっぱりこれも一元的な答えが出るわけでもない個人の幸福の問題なので、ぼく個人としてはこれからも趣味とともに生きたいと思ってるわけなので、冷静に、斜に構えずに、趣味との関係性を点検し続けることが大事なのではないか?と思ったわけです。それはこの文章の影響もあるんですが。
 

趣味への取り組み方も、異性について多くのことを教えてくれます。最近は「オタクの婚活」が話題になったりもしますが、自分に近い趣味を持っているかどうかだけを気にするのでは不十分です。

多趣味な人にもいろいろな人がいて、単に飽き性な人もいれば、上達のコツを素早くつかむことによってたくさんの趣味をこなしてしまう人もいます。ひとつの趣味に打ち込んでいる人も、ひとつの趣味を深く追求しながらソーシャル・スキルもしっかり身に付けて生活している人もいれば、お金にも生活にもだらしないまま趣味に溺れている人もいます。趣味への取り組み方ひとつを見ても、その人について相当のことが類推できます。

(熊代 亨『表情乏しい金持ち"との結婚が危ないワケ 「性格」は表情や言動にあらわれる』   http://president.jp/articles/-/24728?page=4

 
前々から、深夜アニメを見てるだけの人、DVDボックスを買いまくってる人、二次創作を作りまくってる人などが一括で「オタク」と括られることがどうも納得できないと思っていたところもあって「好きなものとの関わり方は人間関係と同様に人それぞれで、そこに個々人の個性が出る」という文章には納得したわけです。だとすれば、その関わり方が健全かどうか、惰性になっていないかを常に点検する必要があるのではないかと。自分はちゃんと満足感をもって趣味に向き合えているのか、お金を使えているのか、どのライヴに行ってどのライヴに行かないか、みたいなところを自分でコントロールすることが重要ではないかと思いました。ストリーミングで何万曲も聴ける今より月1枚CD買ってた頃の方が満足感が高かったなら、自ら制限をかけることも必要なのではないかと。なぜなら、趣味においてはそれを選ぶことができるし、それこそが趣味の素晴らしいところなのではないかと思うので。

ロックンロールを聴きなおすこと

f:id:suimoku1979:20170221214131p:plain

ボ・ディドリー、チャック・ベリー、リトル・リチャード、バディ・ホリーエディ・コクラン…彼らが残した3分間のロックンロールを聴くたびに、コンパクトな形式のなかに詰め込まれたアイデアに驚かされる。

 

例えば、リトル・リチャード「グッド・ゴーリー・ミス・モーリー」のほとんど「ヒップホップ的」なドラムブレイク。バディ・ホリー「エブリデイ」のきわめてミニマルな曲構成(伴奏はほとんどベースとハンドクラップ、鉄琴だけ!)、エディ・コクラン「サムシン・エルス」の「インダストリアル的」とまでいえる凶暴なシンバルの連打。これらは今でも新鮮で、未来のポップ・ミュージックにつながる可能性を秘めている。

www.youtube.com

www.youtube.com

「ロックンロールといえば8ビート」というのは単純すぎる話で、そのリズムの土台にはさまざまな音楽の影響やそれぞれの「なまり」がある。リトル・リチャードのバック・ミュージシャンはニューオーリンズの腕利きジャズプレイヤーであり、プロフェッサー・ロングヘア経由のシンコペーションのきいた演奏を繰り出すことができた。ニューオーリンズという土地はカリブ音楽の影響が多い地域で、同地出身のファッツ・ドミノ、ロイド・プライス、リー・ドーシーらの楽曲からはポリリズミックなキューバン・リズムの影響が感じられる。

 

www.youtube.com

ルイジアナ出身のボ・ディドリーにもカリブ音楽の影響がある。ボ・ディドリー・ビートがキューバのソン・クラーベと類似したリズムを持っていることは有名である。ボ・ディドリー・ビートを取り入れた「ノット・フェイド・アウェイ」を歌ったバディ・ホリーニューメキシコ出身であり、テックス・メックスと呼ばれるメキシコ系音楽の影響を受けている。「ラ・バンバ」と「ツイスト・アンド・シャウト」が酷似していることなど、ロックンロールとカリブ/ラテン音楽との関わりは深いのである。

 

www.youtube.com

おそらく、それまでジャズやカントリーやラテンをやっていたミュージシャンが50年代に一斉にロックンロール(黒人音楽の一種としての)に参入する中で、彼らの背景にある音楽性が持ち込まれ、ゴッタ煮状態となったのではないか。こうしてみるとロックンロールはきわめて豊かな音楽であり、(特にリズム面から)聴きなおすことで新たな発見があるのではないかと思う。その中には現在のR&Bやヒップホップなどにつながるものもたくさん含まれているのではないか。

 

(例えばこのデイブ・バーソロミュー「ザ・モンキー」は、T.Rexの'Get It On'の元ネタであると同時に、Jディラの「ヨレた」ビートにつながるものがあるように思う)

www.youtube.com

 

 

参照した文献

大和田俊之『アメリカ音楽史

大和田俊之・長谷川町蔵『文化系のためのヒップホップ入門』

 

 

「シティポップ」極私的名曲ベスト10

 

f:id:suimoku1979:20170212185808p:plain

 

シティポップにかこつけて好きな曲を並べてみました。

注:はっぴいえんど~ティン・パン・アレイ史観に偏っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10.

 山下達郎/いつか

www.youtube.com

 

名盤 “RIDE ON TIME”の冒頭を飾る一曲。ひたひたと進むような曲調はThe Isley Brothersの名曲 “What It Comes Down To”を連想させます。また、ORIGINAL LOVE「朝日のあたる道」につながっていくものも感じます。(個人的にこの曲調からは「30分アニメのエンディング」を感じるのですがなぜなのでしょうか。)明るさと切なさが同居した名曲だと思います。

 

 

 

 

 

 

9.

伊藤銀次/こぬか雨

www.youtube.com

 

はっぴいえんどフォロワー期の銀次さんが特にすきです。Sugar Babe, EPO版もステキ。まさしくそぼ降る小雨のようなエレピから強力に引き込まれます。「ここにはスコールさえもない/表はそぼふるこぬか雨」という一節に俳句的な叙情を感じます。

 

 

 

 

 

 

8.

小坂忠/ゆうがたラブ(良い音源がありませんでした・・・)

f:id:suimoku1979:20170211225538p:plain

 

名盤『ほうろう』から。このアルバムからは「しらけちまうぜ」が有名ですが、演奏の破壊力でいうとこれが最強なのではないかと思っています。林立夫細野晴臣による鉄壁のグルーヴ。大貫妙子吉田美奈子矢野顕子というありえない面子によるコーラスなど、ジャパニーズ・ソウルの一つの到達点といえると思います。

 

 

 

 

 

7.

EPO/PAY DAY

www.youtube.com

 

今をときめく某トラックメイカーのサンプルネタとして知りました。Just The Two Of Us進行の曲にハズレなし[要出典]

 

 

 

 

 

 

 

6.

大貫妙子/何もいらない

www.youtube.com

 

ター坊の小品は大好きです。牧村憲一さんと組んだヨーロッパ路線も良いですが個人的には1st/2nd(Grey Skies,Sunshower,いずれも名盤)の音が好みです。スムースなグルーヴを持った名曲ですが、特に2:24~の故・大村憲司のギター・ソロが素晴らしいです。

 

 

 

 

 

 

5.

SUGAR BABE/いつも通り

【SUGAR BABE】 いつも通り by J9通信局 音楽/動画 - ニコニコ動画

f:id:suimoku1979:20170211225751p:plain

 

同じくター坊のシュガーベイブ時代の曲。いい曲としか言いようがないです。大滝師匠もお気に入りの一曲であります。

 

 

 

 

4.

山下達郎/あしおと(良い音源がありませんでした・・・)

f:id:suimoku1979:20170211225723p:plain

 

『MELODIES』収録曲。同アルバムの「クリスマス・イブ」などと比べると「隠れた名曲」の部類ですが、実は桑田佳祐のお気に入りの一曲でもあります。「Paper Doll」や「あまく危険な香り」など、達郎がこのリズムを使った曲に外れなしです。

 

 

 

 

 

3.

竹内まりや/プラスティック・ラブ

www.youtube.com

 

その「必殺のリズム」を使った名曲。作詞・作曲・編曲ともに山下達郎。非の打ちどころのないアレンジで、本人も気に入っているらしくライヴで取り上げたりしています。(達郎のライヴ版『JOY』でのパフォーマンスは凄まじいです)どうでもいいですがこの曲のまりやさんの声、ちょっと宇多田ヒカルに聞こえません?

 

 

 

 

 

2.

荒井由実/あなただけのもの

www.youtube.com

 

林立夫によるイントロのドラムを聴くだけで悶絶してしまいます。ホーン・アレンジなども素晴らしく、ティン・パン・アレイによる名演の一つであると感じます。ユーミンによる最高のファンクであります。

 

 

 

 

 

 

 

 

1.

吉田美奈子/朝は君に

soundcloud.com

 

この曲を紹介したいがためにこのランキングを作りました。名盤『FLAPPER』収録。抑えた歌い出しからじわじわと熱が上がっていく名曲中の名曲。ラストの「朝を!」でバーッと情景が開けていく部分が圧巻で、何度聞いても心を動かされます。そして何と言っても同曲の作曲者でもある故・佐藤博の表情豊かなエレピが本当に素晴らしい。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回これらの曲たちを聴き返して思ったのは、当時のミュージシャンたちのアイデアの豊富さと実験精神の素晴らしさです。斬新なコードやリズム・パターンなどから「まだ日本にないポップスを作ろう」という当時の気概を強く感じました。

 

現在90年代的な「オルタナティヴ・ロック」に代わるものとして(オルタナティヴのオルタナティヴ・・・)ceroをはじめとする若いミュージシャンたちが7,80年代の「シティポップ」を参照していますが、見かけはスムースだが本質は過激・革新的であるという過去のミュージシャンたちのスピリッツに共感するところがあるからではないでしょうか。

 

また、「ティン・パン・アレイの名演」ベスト10などでも作ってみたいです。

 

 

FLAPPER

FLAPPER

 

 

ザ・バンド『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』

 

f:id:suimoku1979:20170131192929p:plain

 

ザ・バンドは、これしかない、というバンドである。

 

レヴォン・ヘルムのドラム、ロビー・ロバートソンのギター、リック・タンゴのベース、リチャード・マニュエルの声、ガース・ハドソンのオルガン…
このなかの一つでも欠けたら・・・ということは想像し辛い。

 

例えばレヴォン・ヘルムのゴツゴツとしたプレイをセッション・ドラマーのものと差し替えたら、それはもう別の音楽という気がするのだ。そういう意味でザ・バンドはひとつの「サウンド」だった。ブッカー・T&ザ・MG'sやファンク・ブラザーズがそうだったのと同じように。

 

さいきん『ミュージック・フロム・ザ・ビッグ・ピンク』を聞き返してみて、ザ・バンドはとても「フィジカルな」バンドだったのだと気付いた。
モータウンやインプレッションズをこよなく愛するメンバーが集まったということが重要で、リズムセクションだけ見たなら完全にR&Bだ。それから聴き方が変わった。これほど躍動感と身体性に満ちた音楽はないと思うようになった。

www.youtube.com

もう一つ驚いたのが、ドラムの音の大きさ(録音レヴェル)だ。'We Can Talk'や'Chest Fever'など、ボーカルと同じぐらいドラムがデカく入っている。ハイハットの一粒まで明瞭に聴きとれる。これは結構極端なマスタリングの部類に入るのではないか。

 

マスタリングには作り手の思想が現れる、と思う。つまり、これまで音楽をきいてきて「どの部分に感動してきたか」がいちばん現れる部分と言ってもいいのではないか。


ザ・バンドのメンバーは、アル・ジャクソン(MGs)やベニー・ベンジャミン(ファンク・ブラザーズ)のドラムに魂を震わせてきた男たちなのだと思う。ドラムはR&Bにおいて本質的に重要な楽器であり、"口ほどに物を言う"。レヴォンのドラムもそうだった。

 

最後に好きなエピソードを引用して終わろうと思う。ディランがザ・バンドのメンバーをバックバンドに雇って間もない頃の逸話だ。

 

ディランにパーシー・スレッジの<男が女を愛する時>When A Man Loves Womanとインプレッションズのアルバム《キープ・オン・プッシング》Keep On Pushingを聞かせ、「連中は何もたいそうなことはいってない。でも聞いてるとぼくは死にそうになる。あんたは1時間もぶつぶついってるけど、ぼくには全然ピンとこないんだ」と告げたのはロビーだった。(中略)「初期のロカビリーとかを例に出して」とロビーはふり返る。「一部のレコード、モータウンでもサン・レコードでもフィル・スペクターのでもいいんだけど、とにかく一部のレコードには、ヴァイブレーションというかひとつの音質があるってことを、ボブにわからせようとしたんだ。それまでのボブは『そんなことだれが気にする?ぼくは歌詞にしか興味がない』って感じだったからね。」

(バーニー・ホスキンズ『流れ者のブルース ザ・バンド』253ページより)

www.youtube.com

 

 

「グッド・タイム・ミュージック」としてのザ・ビートルズ

 

www.youtube.com

♪ハニー・パイ(アンソロジーver)

ザ・ビートルズの『アンソロジー3』に入った「ハニー・パイ」を聴いていたらあるバンドの名前が脳内に浮かんだ。ラヴィン・スプーンフル。 60年代後半にNYグリニッチ・ヴィレッジで活躍したバンドだ。ジャグ・バンドやラグタイムなど「古き良きアメリカ」の音楽を60年代によみがえらせたことで知られる。

f:id:suimoku1979:20170123005727j:plain

これまで両バンドの間になんらかの関係性があるとは思わなかったので、この連想は自分でも意外に思えた。『ホワイト・アルバム』に入ったいかにも20年代然としたヴァージョンでは特に何も思わなかったのだが…と呟きつつ、「オブラディ・オブラダ」「ドント・パス・ミー・バイ」を続けて聴いているうち「ザ・ビートルズラヴィン・スプーンフル」という結びつきは脳内でなにかしら確固としたものになっていった。

 

ラヴィン・スプーンフルは、イギリスのロックバンドが大挙して押し寄せた「ブリティッシュ・インヴェイジョン」の季節、1965年に結成されたバンドである。メンバーは20年代の音楽のマニアであったが、同時に全員がビートルズをフェイヴァリット・バンドに挙げている。逆にビートルズのメンバーもラヴィン・スプーンフルをよく聴いていたという。例えば、1966年4月マーキー・クラブ公演にジョンとジョージが出かけ、演奏後メンバーと交流を持っている。

f:id:suimoku1979:20170123005942p:plain

ビートルズの中でも特にポール・マッカートニーがこのバンドの強いファンであったのではないかと思わせるのが次の『リボルバー』についてのインタビューである。「『グッド・デイ・サンシャイン』では、僕は『デイドリーム』のような曲を書こうとしたんだ」「(この曲には)伝統的な、ほとんどトラッド・ジャズ的な感覚がある」「彼らの曲ではこれが一番のお気に入りなんだよ」云々。

rollingstonejapan.com

www.youtube.com

「グッド・デイ・サンシャイン」が「デイドリーム」に似ているかどうかという議論はさておき、ここで出てきた「トラッド・ジャズ」という言葉に注目したい。50年代のイギリスではジャグ・バンドやディキシーランド・ジャズなどトラディショナルな、いわば「モダン」以前のジャズがリバイバルして流行した。その音楽は「スキッフル」と呼ばれ、ビートルズの誰もが少年期にこの洗礼を受けたのだ。たとえばジョージはギターより前に洗濯板を握りギコギコ鳴らしていたという。

www.youtube.com

その後時代はR&Bやロックンロールに移り、メンバーも洗濯板を捨てたと思うが、その数年後にスキッフルがまた目の前に現れたのでポールはあっと思ったのではないだろうか。偶然か否か、その後ポールはトラディショナル・ジャズ的なナンバーを書き始める。例えば『サージェント・ペパーズ』に入っている「ホエン・アイム・シクスティ・フォー」など。この曲は16歳の時に書いたナンバーらしいが、『サージェント・ペパーズ』のヴァージョンだとクラリネットなどが入っていかにもなアレンジになっている。このほのぼのとしてレトロな味を持った小品は「マーサ・マイ・ディア」や「ハニー・パイ」に受け継がれ、ソロ時代にポールの大きな持ち味になる…というのは『ラム』などを愛する皆様なら言わずもがなであろう。

 

ラヴィン・スプーンフルを聴いたポールが自らのルーツとしてのスキッフルに立ち返った」というのは、ちょっと大げさな気がするが(しかし最近ではスタンダード曲のカヴァー集も出していましたね)ビートルズが「ロック」の括りで捉えきれないバンドであるというのはつくづく感じるところである。言うならば「グッド・タイム・ミュージックとしてのビートルズ」としてビートルズを見直せば、また違った「ビートルズ」像が描けるのではないか?ちなみに僕はポールとリンゴが作った曲にこの「トラッド・ジャズ」の色彩が特に濃いような気がするのですがどうでしょうか。

 

Kisses on the Bottom -Deluxe-

Kisses on the Bottom -Deluxe-

 

 

 

 

私とブルーズ

あなたがはじめてブルーズを聴いたのはいつだろうか?ぼくの場合、恥を忍んで告白すればエリック・クラプトンの『アンプラグド』ということになる。小学5,6年生のことだ。父親のCD棚にあったアルバムだが、そこに「ノーバディ・ノウズ・ユー」「ローリン・アンド・タンブリン」等のカヴァーが入っていた。

www.youtube.com

ではその感想は?といえば、冴えないものだった。いわゆる「ブルースっぽい」進行(Ⅰ→Ⅳ→Ⅴ)は、アニメで「哀愁のブルース」「おやじのブルース」と戯画的に扱われることで(ぼくの中で)かなり陳腐なものになっていた。だから、「ノーバディ・ノウズ・ユー」を聴いても「親父のブルース」が頭をよぎり、「またこれかぁ」という感想しか持てなかった。メロディアスな「レイラ」や「ティアーズ・イン・ヘヴン」の方が小学生の感性には合っていた。

 

これと似たような体験をした人は多いのではないだろうか。現在、劇伴やCM音楽、カフェのBGMなどにのせて、雰囲気やイメージを高めるためにある種誇張された形で音楽は「流されて」いる。ブルーズ進行を聴いて「哀愁」というのは、ジャズを聴いて「バーっぽい」、ボサノヴァを聴いて「オシャレ」というのと同じように、あまり音楽を聴かない人の中では広範にみられる現象ではないか。

 

ともかく『アンプラグド』以降、ブルーズを素通りして生きてきた。ぼくがブルーズに再び出会ったのは大学生になってからだった。久しぶりに聴いたブルーズは強烈な異物として迫ってきた。「アメリカ文化史」のような講義で教授が流した音源、確かサン・ハウスマディ・ウォーターズだったと思うが、チリチリというノイズの向こうから切り裂くような叫びと、ガリガリビヨーンという異常なギターの音が聞こえてきた。

www.youtube.com

そのノイズはかなり金属的(メタリック)なもので、ああ、ギターの弦は金属なのだなという当然のことを思い出した。演奏はきわめてシャープ、それを通り越して「ミニマル」とも思えるもので、強烈な現代性を感じた。それと同時にむさくるしい「おやじ」のイメージは彼方に消え去った。その後しばらく戦前のブルーズをむさぼり聴く期間が続いた。

f:id:suimoku1979:20170108120927p:plain

www.amazon.co.jp

想像だが、きっとベックやジョン・スペンサーも『アンソロジー・オブ・アメリカン・フォーク・ミュージック』をこのように受け取ったのではないか。70年代英国のブルース・ロックのミュージシャンたちが広めた、いわゆる「ブルージー」な音やⅠ→Ⅳ→Ⅴの進行などが陳腐化した後に、彼らは「ノイズ」や「ループ感覚」の方からブルーズを再発見したのではないだろうか。その参照項はもちろんヒップホップやグランジである。

www.youtube.com

なるほどこれは誤解には違いない。ただ、ブルーズはアラン・ローマックスの時代からロマンチックに誤解され続けてきた音楽である。ぼくは、「黒人以外にブルーズは分からない」という意見もある面では真実であると思う。しかしそれでもなお、「誤解」から新たな音楽が生まれる、その「過程」にこそ注目すべきだと感じるのだ。ミュージシャンが離れた時間・離れた場所の音楽を聴いて、新鮮な感動を受ける。そしてその感動を自らの立ち位置や視点から変換し、「現代の音」として甦らせる。この「感動の変換」こそがつねに音楽の歴史を更新してきたと思うからである。

 

音楽のファンダメンタルな在り方を設定し、それと矛盾するものを批判し排除するよりも、この「変換」がどのようにおこなわれたか、またはある音楽的モチーフがどのように受け継がれ、どのように変奏されていったか、について注目した方が多くの成果をもたらすのではないかと思う今日この頃である。

Grizzly Bear とAlabama Shakes, 失われた音を求めて

 

f:id:suimoku1979:20170104123148p:plain

f:id:suimoku1979:20170104123224p:plain

2009年、アニマル・コレクティヴやハドソン・モホークが現在の音楽シーンにつながる重要な作品をリリースした年だが、この年ラジオでよく流れていた曲のなかで最近思い出したものがある。Grizzly Bearの “Two Weeks”という曲である。

www.youtube.com

イントロの躍動的なピアノが印象的な曲で、地元のFM(zip-fm)で結構よく流れていたからヒットしていたのだと思う。近所のツタヤで彼らのアルバム “Veckatimest”を借りたのも、この曲が入っていたからである。Fleet Foxesなどと合わせて「チェンバー・ポップ」と呼ばれていることも知らずに、当時は単純にヒット曲の一つとして聴いていた。

 

なぜ最近になってこの曲を思い出したかというと、「森は生きている」岡田拓郎さんと「吉田ヨウヘイgroup」吉田ヨウヘイさんの過去のインタビューにこのバンドの名前が出てきたからである。

 

『じゃあ、自分の作品で音楽性を変えられないところまで作った後に、彼に加わってもらったらどうなるのか?』ってことでお願いしたっていう感じで。その時、岡田くんが『グリズリー・ベアみたいなことやろう』って言いだして(笑)。それでグリズリー・ベアのすごいプロダクションが凝ってるやつを聴かせてくれて。それがすごい刺激的で。自分にも合う方向だけど、自分には考え付かなかったんですよ。岡田くんと共同作業出来たのが二日くらいだったんですけど、そのレコーディング最後で学ぶことが多かったんで、この手法で次のアルバム行けるかも、って思って。今、そういうこと考えながら作ってるっていう感じなんですけど」

『Smart Citizen』制作時のインタビュー(http://thesignmagazine.com/sotd/okadayoshida1/)から

(また、岡田拓郎さんは最近のツイッターの発言でも相変わらず彼らのサウンド・プロダクションに関心を示していた )

 

 

その発言を聴いて“Veckatimest”を再び聴きなおしてみた。生楽器の質感を保ちつつダイナミズムを失わない音作りは、7年前の作品だがビビッドさを失っていないと思った。「チェンバー・ポップ」という箱庭的なイメージに反して演奏も歌も非常にダイナミックなバンドであったと今気が付いた。(あと単純に歌も演奏もめちゃくちゃウマい。)

www.youtube.com

Grizzly Bear/Fine For Now

 

再聴してみて、特に4曲目の ‘Fine For Now’が印象に残った。この曲を聴いてとっさに思い浮かべたのはAlabama Shakesの'Don't Wanna Fight'である。

www.youtube.com

Alabama Shakes/Don't Wanna Fight

 

ギターのジャリッという甘い響きや、遠雷のようなドラム(独特の残響感はスティーヴ・アルビニを連想させる)クアイアのようなコーラスの重ね方に共通点を感じた。天井の高い山小屋や教会のような場所で録音されたのではないか(グリズリー・ベアのアルバムは実際に1928年に建造された木製の山小屋を利用して録音されている)そんなことを思わせるサウンドであり、僕はこのサウンドを「教会サウンド」と呼びたいと(ひそかに)思っているのだが、ともかくこの両バンドの間に思わぬ共通点が見つかったので意外に感じた。(Grizzly Bearとの関連ではFleet FoxesやThe Morning Benders=Pop Etcなどは咄嗟に頭に浮かぶが・・・)両者に親しい交流があるとは聴いたことがないが、お互いの音源を聴いている可能性は大いにあり、どちらかがどちらかの影響を受けてこのような音響になった、または共通の「元ネタ」が存在することなども想像できる。

 

しかし時系列的な前後はあるだろうが、結果としてGrizzly BearとAlabama Shakesが類似した質感のサウンドを「選択した」という事実の方が重要なのではないかと思う。その「音」とは先ほど述べたような「教会」的なサウンドである。このサウンドの特徴は、生楽器のオーソドックスな感触を持ちつつも深い残響と強いアタック感を持ち、現在ラジオでプレイされてもメインストリームのポップスに鳴り負けない強い音になっていることである。

 

面白いのは、海を越えて日本の「森は生きている」や「吉田ヨウヘイgroup」がこの「音」に反応したことである。彼らもまたGrizzly Bearなどと同じく60~70sのスワンプ・ロック/フォーク/バーバンク・サウンドなどを愛する若者たちである。彼らの中にはノスタルジーはなく、むしろ半世紀前の「失われた音」「あの世の音」(細野晴臣)に対する新鮮な驚きと感動がある。このような場合、過去の音楽(現在の形式とは異なった技法で描かれた音楽)を聴いて得た感動をどうやって現代に「変換」するかということが問題になる。この問いに対するひとつの解法として「教会サウンド」が選択されたのではないか。

 

おそらく、この「過去の音楽から受けた感動をどう変換するか」という問題関心を持っているのはアメリカ・日本の若者のみではない。2000年代中盤から、インターネットの普及・動画共有サイトの広がりによって過去の音源にアクセスすることはかつてないほど容易になった。この「アーカイヴ時代」において、ある種の若者たちは世界中で同じことを考えているのではないかと思うのである。

今後はインドネシアやタイ、韓国などから古いものを生かした新しい音が出てくる可能性がある。そのようなミュージシャンたちの同時多発的な試みが、これからの音楽シーンにおいて重要さを増していくのではないかと考える。というよりもそれはもう始まっているのではないか。